カウンセラー紹介

粟竹 愼太郎(あわたけ しんたろう)

取得資格
特殊情報処理技術者
 
日本産業カウンセラー協会認定
シニア産業カウンセラー
 
キャリア・コンサルタント
 
国家資格・2級キャリア・コンサルティング技能士
 
日本交流分析協会認定 交流分析士1級
 
日本産業カウンセリング学会 会員
 
日本キャリアデザイン学会 会員
 
日本行動療法学会 会員

経 歴

2007年
12月に個人事業を開業し、現在に至る
2006年
シニア産業カウンセラー資格取得
2005年
12月に退職し、産業カウンセラーとして株式会社富士通アドバンストソリューションズに常駐し、社員のカウンセリングを実施。メンタルヘルス教育などを担当
2004年
富士通アプリケーションズ㈱に合併、開発担当役員
2003年
キャリア・コンサルタント資格取得
2002年
富士通関東アプリケーションズ株式会社 役員
2001年
日本産業カウンセラー協会の養成講座受講、合格
2000年
株式会社富士通アドバンストソリューションズに合併、ソリューションビジネス事業部長
1997年
富士通ソーシアルサイエンス株式会社 事業部長 官庁系大型顧客システム開発を担当
1992年
富士通に復帰後、宇宙システム部長 宇宙開発関連顧客全体の開発・運用を担当
1985年
課長昇格に伴いファコム・ハイタック株式会社へ異動、
宇宙科学研究所(現JAXA) 東京天文台担当
1974年
気象衛星ひまわり1号システム開発担当
以後NASDA(現JAXA)衛星運用管制システム開発
1967年
データ通信技術部でオンラインバンキングシステム開発に従事
後リーダーとして製鉄管理システム開発 自動車製造ライン管理システム開発
1965年
富士通信機製造株式会社(現富士通) 入社 金融機関系システム担当SE

SEから産業カウンセラーへ

元々私はSE:システムエンジニアとして長年働いていましたが、以前から同僚や部下それに先輩など多くのSEがメンタルな問題に苦しむ姿を真近くに見て来ました。
自分自身も今ふり返って考えると、あの時はいわゆる「うつ状態」だったと思うことが何度かあります。なぜなんだろう、どうにかならないのか?と思ったことが、産業カウンセラーの道を選んだ切っ掛けになりました。

産業カウンセラー養成講座を受講することでまず驚いたことは「感情を大事にする」ということでした。
それまで仕事の中では「感情」は二の次で「問題は何か、原因は何か、対策はどうすべきか、5W2H,PDCA」などと言うことが第一でしたから、感情を大事にと言われてもなかなかピンと来なかったという感じでした。
同時にそれまで仕事を通して関わって来た領域とは全く違う領域の話で、それがとても新鮮で、魅力的に感じたことは確かです。

でも傾聴の実習の時はいつも相手の方から「粟竹さんのお話(事柄)はすごく良く分かるけど、どんな感情なのかがさっぱり分からないのですよね」と言われ続けました。悩みました、SEという職業にかなり順応していたために、いつも5W2Hで整理しながら話をするので分かり易いはずです。しかし感情を表現することは慣れていません。そこで気づいた事は、「自分は心の上にかなり強固な超合金の鎧を着ているな」ということでした。感情のような本来仕事にあまり必要でないものは跳ね返していたのだと思います。当然こちらからも鎧があるので、感情は出て行きません。

この鎧が徐々に緩んで来たと感じられたのは、養成講座の後半になってからです。
交流分析の勉強の中でエゴグラムを書いた時に、私のパターンは極端な山型でした。つまりA(大人・成人の自我)が突出して高かったのです。
でもそれは皆も同じだと思って周りの方々と見比べると、それまでまったく普通の人間だと思っていた自分は、かなり変わっているというか、あまり温かみのないコンピューター人間になっている事に気づきました。ショックでした。
それからは自分の価値観や判断基準、また常識というものが必ずしも世間一般から見たら普通とは限らないという客観性が身に着いたように思います。
そんなことがあってから、少しずつ「自分の感情」を表現することが、本当に少しずつでしたが出来るようになり、同時に相手の感情も理解できるというようになって行きました。

お陰さまで養成講座修了の頃には、仲間から「随分変わりましたね」と言われるようになった事を覚えています。
学科試験と実技試験を受けて、運良く当時の「初級産業カウンセラー」の資格を取得できた時は感慨深いものがありました。

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